2007年 08月 25日
かつてシベリア経由で欧州とを結ぶ国際列車の日本の国際港でもあった。飛行機の無い時代の港は海外への玄関口である。日本各地からの鉄路を通じてここへ敦賀からアジア・ヨーロッパへと人々は旅立ちまた戻ってきたのである。物資も同様。そのため港には沢山の倉庫も建てられた。そんな往時の雰囲気を伝える倉庫が残り一部は現役で使われている。
by youknow1957
| 2007-08-25 23:20
| 近代建築
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