西山遊野の森羅万象ブログ

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2008年 03月 02日

島に渡るという事(出羽島でばじま)

徳島県牟岐港から約東4キロに浮かぶ出羽島。0.65平方キロメートル人口155人。黒潮の影響で年平均気温が17℃の常春の島である。そこへ渡るのには一日6便の渡船に乗る。乗ったのは2便目8:20であった。乗り場に着いたときにはすでに大生丸17トンは到着していた。「おはようございます。乗船券はどこでかえますか?」甲板にいる船員さん?に聞いて見ると「のっとっとら船長が取りに来るわ」なるほど、船員さん?と思ったらお客さんのようであった。出港5分ほど前になるとお客さんが集まってくる。総数10名ほどだろうか。それで定刻合図もなく離岸。
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これが船室。おおこの雰囲気どこかで?。
そうや!商店街の大衆食堂の雰囲気だ。
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エンジン全開。船尾にある屋根付き甲板からは去りいく牟岐漁港が見える。
山並みが美しい良港なのだろう。
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数分後船首に目を転すれば前方に見えてくるのが出羽島(でばじま)である。
波もなく穏やかな黒潮室戸沖の小島。これでわたしも45島目の上陸になるが
このぐらい渡ると有人島と無人島の区別がなんとなく島容から判るようになってきた。
私は島好きだか特に有人島が好きだ。島の自然地理より人の生活環境や自然とのかかわり
かたのありようのを見るのが好きだ。もっとも無人島には普通は簡単に
渡ることが出来ないのでまたそれはそれで別の魅力があるのだろう。
島に渡るという事(出羽島でばじま)_c0074640_171247100.jpg


赤灯台白灯台をみて船は入港するするとエンジン減速をして着岸に備える
こんな小さな船でも入出港は一人ではできない。
船に乗る楽しみ一番の見所は着岸である。見事な操船でぴたりと泊るところが
注目するところだ。その感触を味わおう。
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出羽の町並みがみえてきた。その奥の小高い丘に見える鉄筋建て現在休校中の
出羽小学校である。かつてはこの島も小学校がに児童が通うような人口ピラミッド
描ける人口構成があったのだろう。その図の底辺がほそり50歳以上のてっぺん部
が残っているのだ。やがて限界村落を向かえ、診療所も閉鎖、そして無人の
地域となるのだろうか。
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推測するにこのお客さんたちは6:30の出羽島発の一便の乗って牟岐港へ行き、
一仕事して牟岐港から8:20のこの二便で島に帰る人たちなのだろうか?
下船到着すると島唯一の車輌であるめいめいの荷車に荷物をのせて先を急いでいた。
一仕事とは牟岐の街で買い物をしたのだろうか?さてその場で聞けばよかった。
いつも帰ってから疑問が沸くのだがその場ではそのことに気がつかない。
取材にはその場で見るものへの関心ととっさの推測がなければいけないことを痛感。無念。
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渡し船の魅力。陸路の乗り合いバスやローカル線のような渡し船なのだが
一番の違いはなんといってもその船にいろんな人がすべて乗っていること。
だから同じ島でも空路あり、橋ありとアクセスが増すと離島の魅力は
反比例する。この船こそがその島と本土を結ぶノアの箱舟であるからこそ
魅力的なのだ。その心は「呉越同舟」
もっともそんなことを思い浪漫に浸ってのんびり船の景色を楽しいで居るのは
旅人だけだろう。地域にとって足の確保は大変な死活問題である。
今こんな魅力ある地域交通にも存亡の危機があることも先刻ご存知であろう。
このような離島交通は島民の人口減少にともない何処も大きな累積赤字を
抱えているのである。補助金制度など補填もあるのだろうが地域行政も
今は大変厳しい時代。第三セクターの地方鉄道線の廃止も各地で聞かれる。
先ほども書いたように唯一の移動手段である離島渡しは廃止になれば
その島はそれで無住となることを意味する。
今後もこのようなことが続くようでは地域の均衡な発展を願う気持ちとは
うらはらに、多様性ある豊かな地方文化の衰退が懸念される。
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by youknow1957 | 2008-03-02 16:50 |


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